秋晴れの10月22日(水)に、1・2年生による京都大学総合博物館研修を行いました。

この計画の発端は、6月18日(水)に本校大会議室を会場に行われた、京都大学名誉教授の河野昭一先生をお迎えしてのスペシャルセミナーでした。
この時、河野先生より「一度、京都大学総合博物館に来なさい。中を案内しますよ。」と言う、お言葉をいただきました。
当然、社交辞令だとは承知していたのですが、秋の遠足研修で是非とも京都大学総合博物館を見学したいとの生徒の熱い声に後押しされて、計画が立てられました。
このことを、河野先生にお伝えすると、驚くことに、「わかりました。予定を空けて待ってますから、みんなで来てください。」とのお返事。
今日は西に明日は北へと、日本はおろか、世界中を忙しく飛び回っておられる先生からの、望外のお言葉に本当に御願いして良かったのかなと、冷や汗が流れました。
とは言っても、願ってもないチャンス!!参加者一同は、喜び勇んで京都大学総合博物館に向かうことになりました。

集合場所に集まる生徒

期待に目が輝くバスの中

京都大学到着
京都大学のシンボルツリーも、本校と同じ「楠」です。
何かのご縁を感じます。

この前で記念撮影をしました

1年生

2年生

ここが総合博物館です

河野先生と大野先生

京都大学総合博物館につくと、すでに河野先生がお待ちでした。
ところが、河野先生だけではなく、京都大学総合博物館の大野照文教授も出迎えていただき、展示物の解説の加わっていただく事になりました。

真剣なまなざしを見てください

京都大学総合博物館教授

大野照文先生

おはようございます。
皆さんは、敦賀気比高等学校付属中学校の生徒さんと言うことですが、学校は「気比の松原」の近くにあるのですか。
そうですか。「気比の松原」にちなんでつけられたのですね。なぜ、このようなことを聞くかというと、実は私の祖母が敦賀トンネルに近いところに住まいしており、小さい頃は「気比の松原」や「立石岬」と行ったところで遊んだことがあるからです。
特に思い出に残っているのは常宮です。
夏になると、良く海水浴に言ったものですが、泳がずに石ばかり拾っていました。そこにはきれいな水晶がたくさん落ちているからです。
考えてみると、これが私の石との出会いであったようで、現在は化石の研究をしています。
と言うわけで、皆さんの中には、私の遠い親戚がいるかもしれませんね。
さて、私の自己紹介みたいな話はこれ位にして、この博物館のことについて説明します。
京都大学が設立されたのは1897年ですが、それ以来集め続けられた標本や資料などが、この京都大学総合博物館に収めてあり、大学の博物館としては一番大きな規模を持つ施設のひとつです。
このあと、河野先生に案内して見せてもらうことになる収蔵庫には、140万点ほどの植物標本があり、このうち5000点ほどが証拠標本と言われる、とても貴重な標本です。世界中にはたくさんの植物がありますが、1000種類に1種類は、この京都大学に証拠標本があると言うことになります。ですから、世界中の有名な研究者が、毎年ここを訪れています。
また、この施設が作られた目的のひとつは、京都大学に来たら何ができるかを見てもらうためです。人には好き嫌いがありますから、ここにいる皆さんがおもしろいと思うことはないと思いますが、おもしろそうだと思った人は、ぜひ京都大学に来て研究をしてください。待っています。
それでは、さっそく自然史系の常設展示を見ていくことにしましょう。

地球の鼓動

まず、こちらにあるのがソーラーパネルです。
このソーラーパネルは、この博物館の屋上に設置されており、太陽の光を電気に変えています。どれ位発電しているかというと、こちらに表示しています。
これは今日の分で、こちらは昨日の分、そして、これが1年間の発電量と言うことになります。昨日の発電量が多い事から、昨日の天気は晴れだったと言うことが解りますね。
さて、皆さん。この地図を見てください。この道をなんというか知っていますか。そう、鯖街道です。この道は、君達の住んでいる福井県の小浜から京都に向かって一直線に走っていますね。
当然真っ直ぐな方が便利に決まっていますが、どうして真っ直ぐな道ができたのかは、歴史上の謎でした。
ところが、この答えを理科の先生が見つけたのです。
実は、ここには花折断層という大きな断層があって、その断層によって岩が崩され、それを道として人が利用したというわけです。
このように京都大学では、文科の先生と理科の先生が集まって、お互いに話し合い、考えやアイディアを共有するような機会が設けられています。

資料の説明をされる大野先生

さて、この断層ですが、この南の端はすぐ目の前に来ています。皆さんがいるこの場所と、すぐ裏手に見える吉田山の間にあるのです。
それを発掘したのはこれです。このようなものが、わずか数メートル掘っただけで現れてくるのです。
日本には、このような断層がいたるところにあり、これによる地震がたくさん起こっています。その様子をリアルタイムで表示しているのがこちらです。
今は、岐阜県のこのあたりや、紀伊半島あたりでたくさん地震が起こっているのがわかりますね。
世界中で見ても、日本が地震の巣であることがよくわかります。
日頃から、地震などの災害に備えることが大切だと言うことがよくわかるのではないかと思います。

化石から見た進化

さあ、ここにあるのが何か解りますか。 そう化石ですね。昔の生き物が土の中に埋まって、柔らかい部分は腐り、かたい部分だけが残って石となったものです。ここには二枚貝、特にカキの進化について、世界で初めて本格的な紹介をしているコーナーです。
この化石を見てください。この化石は北海道の厚岸という所から採取されたものです。この化石がいつ頃のものかと言うことは、炭素14法などによって求められるのですが、詳しいやり方については、高校などで習うのではないかと思います。
さて、今注目してほしいのは、この縞模様です。
二枚貝の殻に記録された微細な縞模様は成長線と言います。
これを詳しく調べることによって、その二枚貝がどのような場所の、どのような温度で、どのような状態で生活していたかが解ります。
このことによって、その貝が生息していた当時の環境を、きわめて良い精度で復元することも可能です。
また、二枚貝は5億年前から地球上に生息するといわれていますが、この長い長い時間をかけて、環境に合わせて生き残るために、体の仕組みに工夫をこらしてきました。
例えば、リュウキュウアオイガイは体の中の藻と『共生』するため、貝殻を透明にし、光を通すように進化しました。このような涙ぐましい工夫の結果がトリガイの足であったり、ホタテガイの貝柱であったり、ミルガイの入水管であり、それを人はおいしく食べているのです。
さて、ここにある化石はなんでしょうか。
そう、よく解りましたね。恐竜の足跡です。これは、石川県の白峰村で見つかったものです。と言うことは、大昔の日本には恐竜が住んでいたことになります。
しかし、陸の生き物がどうして日本までやってこられたのでしょうか。実は、恐竜が住んでいた当時には、日頃皆さんが見ている日本海はありませんでした。
日本海ができたのは1500万年前であり、中国大陸と日本は陸地でつながっていたのです。ですから、陸の生き物である恐竜も、歩いて日本に来られたわけです。
さて、もう少しこの恐竜の足跡を観察してみましょう。
この恐竜の足跡が、何かに似ていませんか。
そうですね。これを小さくすると、鳥の足跡に似ていますね。
恐竜は絶滅したとよく言われますが、実際には鳥となって生き残っているわけです。そして、恐竜の足跡が鳥の足跡に似ているのではなくて、鳥の足跡が恐竜の足跡に似ているというわけです。
では、恐竜がこの足跡をつけたのはいつの季節でしょうか。
ウン、夏ですか。その理由はなんですか。
エッ、感ですか。それでは困ります。もっとよく観察してみましょう。
こうした足跡が残されるということは、多分この場所に泥がたまっていたと言うことでしょうね。でも、こうして残るためには、少なくても泥の表面が乾いて固まることが必要です。
だから、夏というと言い過ぎかもしれませんが、夏場のような強い日差しがあたる頃だったと考えられます。
次に、この足跡をつけた恐竜の大きさはどれ位だったのでしょうか。
この恐竜は二足歩行をする恐竜だったと考えられます。人間の比率をもとにして考えると、腰は頭くらいになりますね。と言うことは、恐竜の身長はこの天井くらいだったのではないかと想像できるでしょう。
また、ここを歩いていた恐竜の気持ちもわかりますよ。皆さんも、泥の上を裸足で歩くことを考えてください。
ヌルヌルして気持ち悪いですからゆっくりと歩きますよね。多分、この恐竜も同じ気持ちであったと考えられます。
それは、この足跡が平らについているからです。
もし、気持ち悪いからと言って、駆け足で歩いていたとしたら、体は前のめりになるはずです。と言うことは、残った足跡の前のほうが深くへこんでいなくてはなりません。
このように、ひとつの化石であっても、いろいろなことを私たちに語りかけてくれているのです。
ナウマンゾウのホロタイプ標本
さあ、こちらにはゾウの化石が展示してあります。ここにあるのは、岐阜県の瑞浪で発見されたゾウの化石です。
ゾウの化石というと、シベリアの永久凍土で見つかるマンモスが有名ですが、日本で見つかっているこれらの象は、日本の地質学的大発見である中央構造線を指摘したドイツの地質学者であるエドモント・ナウマンと言う人の名前をとって、ナウマンゾウと呼ばれています。
この、日本を代表する氷河時代(約170万年前から約1万年前までの期間)のゾウであるナウマンゾウは、日本と中国の一部でしか確認されていません。
しかし、この頃には日本海ができていたと考えられますから、ナウマンゾウは氷の上を渡ってきたという事になります。
ナウマンゾウの背までの高さは約2m前後で、アフリカゾウ、アジアゾウよりも体は少し小さかったようです。しかし、野尻湖で発掘されたナウマンゾウの牙の化石を見ると、長さが2.4m、太さが15pもあり、アジアゾウなどと比べて非常に立派な牙を持っていたようです。ちなみに、ナウマンゾウの牙は上顎第2切歯で、一生伸びつづけ、完全な形で出てくることはかなり少なく、こなごなの破片(切歯片)として見つかることが多いのです。 こちらの化石を見てください。ナウマンゾウのひたいの部分に出っ張りがあって、まるで帽子をかぶっているような格好をしていますね。 こちらは、ナウマンゾウの下あごの化石です。非常に大きな歯ですね。この歯は大臼歯と呼ばれる歯ですから、上あごの第臼歯とこすり合わせることによって、食べ物をするつぶしていたのです。

参照 The Kyoto University Museum

京大が生み出した霊長類学

京都大学の伝統に、フィールド調査研究があります。
その一番の成果のひとつにサルとかゴリラ、チンパンジーの研究をする霊長類学と言うものがあります。
ところで、ここにゲームがありますから誰かチャレンジしてみませんか。
テレビ画面に現れたスタートボタンを押すと、1〜9までの数字が約1秒表示されます。
その一瞬のうちに数字を覚え、実験スタート。

数字が画面に隠され、数が小さい順にタッチしていきます。

アイちゃんと自分の成績が画面に表示されます。
どうです、勝てましたか。
アイちゃんに負けちゃったみたいですね。
それでは、対戦相手のアイちゃんの様子を、このテレビ画面で見てみましょうか。
どうです。アイちゃんと言うのは、京都大学霊長類研究所で暮らしている天才チンパンジーです。アイちゃんは、このような知能トレーニングをしています。
チンパンジーは非常に賢い動物で、このような棒をアリの巣に突っ込み、その棒にくっついてくるアリを食べます。
まるで焼き鳥のようですって。本当にそうですね。
また、水の中に生えている藻を食べることもありますが、皆さんも水に濡れるのはイヤですよね。チンパンジーも、このように棒に藻を巻き付けてとって食べたりします。
この他にも、堅いナッツを石を使って割ったりするのですが、これは道具の始まりと言えますね。
また、体の調子が悪いときは決まってこの草を食べるようです。
そう、薬草なんです。賢いですよね。
このように、チンパンジーは多くの経験を通して、いろいろなことを身につけているようです。
こうしたことが解ったのは、長年にわたって京都大学がアフリカなどに行って、地道に観察して記録をとってきたからなのです。このようにして集められたたくさんの資料がこの博物館の中には収められているのです。

参照 eo おでかけホームページ

ミューズ・ラボ

さて、皆さんちょっと腰掛けてください。
この小型円形劇場はミューズ・ラボと言います。
先程も紹介したように、京都大学ができた当時から、世界に調査隊をずっと派遣し、野外で調査・研究を行ってきたという伝統があります。
大型ディスプレーを見てください。
ここに映されている映像は、1950年、第2次世界大戦が終わって間もない頃に、ヒマラヤ山脈に調査に行ったときのものです。ここに映し出されている人たちは、山を登り、氷河を歩き、現地の生活や文化などを調査しました。そして、世界でも有名な大学者となられた方ばかりです。
大学の研究というと、私のような年寄りがするものだと思う人がいるかもしれませんが、そうではありません。君達も大学生になると、すぐに研究が始まります。非常におもしろいことがたくさんあります。
今君達は黒板と教科書とノートを使って勉強をしています。いろいろなことを頭の中に詰め込まなくてはいけませんから大変だと思います。
しかし、それは大学入試に必要だから仕方ありません。
今年、ノーベル賞を受賞した益川先生は「教育汚染」という言葉で表現されていますが、今はとにかく我慢するしかないのです。
でも、京都大学に入ったら世界中に行って、頭の汚れをきれいにすればいいんです。
ですから、もうチョット頑張って勉強してください。
さて、時間となりましたので、このあとの解説は河野先生に御願いすることにします。
皆さん、ゆっくりと見学していってください。

京都大学名誉教授

河野昭一先生

皆さんには、もう少し映像を見てもらいましょう。
これは、ボルネオで撮影した映像です。
これは鳥の声ですね。
少し早回しで見てみましょう。
雷鳴がとどろき出しました。
すごい雨が降り始めました。
熱帯の天気はこのようにして変化します。

情報検索コーナー

ここでは、京都大学総合博物館に収蔵されている標本のデータベースから情報を検索するところです。この博物館の収蔵庫の大きさは、日本の大学では一番大きいものです。

標本作製室

こちらの部屋に入ってみましょうか。
こちらの方は、カジタニさんと言って、ここで押し葉標本を作っていただいている方です。
各地で採取された標本を台紙にテープを使ってマウントされています。テープで留められないものは、糸でかがりつけたりします。
小さなものは、このように袋に詰めて貼り付けます。
今、作業を行っているのは、ハスです。
1枚の台紙にマウントできませんから、何枚かに分けて貼り付けています。
こちらは実の部分ですね。
このように丁寧に作業をしていただく、縁の下の力持ちの方々の努力によって、標本が資料になっていきます。そして、それが地下の収蔵庫に収められて残されていくという仕組みになっています。
皆さんも、上手に押し葉標本を作ったら、収蔵庫に収めてあげます。そのかわり、どこで採取したか、どのような状態で咲いていたか、全体はどのような形であったかなどを、このように詳しくラベルに書いておいてください。
そうしないと、資料とはなりませんからね。

参照 The Kyoto University Museum

栽培植物の起源

日本の主食は米ですが、ヨーロッパやアメリカの主食はなんですか。
確かにパンですが、その原料は小麦ですよね。
この小麦のルーツを研究したのが木原 均先生です。
小麦は、今から1万2千年ほど前に、中東で栽培されるようになったといわれています。初めのそれは、およそ目立たない草でしたが、これには「A」という遺伝子を持つヒトツブコムギと「B」という遺伝子を持つクサビコムギがあり、これが掛け合わされて「A」と「B」両方の遺伝子を持つフタツブコムギができました。
ところが、現在使われているパンコムギの遺伝子を見ると、「A」と「B」の他に「D」という遺伝子が含まれていることが知られています。当時は、この「D」という遺伝子がどこから来たのか解りませんでした。
当時京都大学におられた木原均先生は、数千年前に栽培されていたフタツブコムギの畑に生えていた雑草のタルホコムギとが、たまたま交配してパンコムギができたと考えて、中東まで出向いていって野生のタルホコムギを持ち帰り、実際にそれらの雑種を作って証明されたのです。
これは世界でも有名な研究であり、特に欧米人にとっては、日本人によって自分たち欧米人の主食である小麦のルーツが解明されたと言って非常に悔しがられた研究です。
この他にも京都大学では、中国大陸の内陸部やヒマラヤの山の中にも調査隊を派遣して、ソバの研究をしたりしています。

参照 The Kyoto University Museum

温帯林の生物多様性と共生系

さあ、ここにあるのは本物のモグラの標本です。
モグラにもたくさんの種類があるのが解りますね。
皆さんも知っているとおり、モグラは地下にトンネルを掘って、ミミズや昆虫の幼虫を主なエサとしています。土の中では視覚は役に立ちませんから、嗅覚などを使ってエサを探すことになります。
こちらにあるのがモグラの巣です。皆さんは、このモグラの巣をどうやって見つけたか解りますか。
実は、ナガエノスギタケ、別名モグラノセッチンタケと呼ばれるキノコを探すのです。
モグラはきれい好きで、フンをする場所が決まっています。京都大学教授であった相良直彦先生は、自然林では窒素分が豊富なモグラのフンがあるところから、このキノコがよく生えることを発見しました。
このように、研究というのはなんでもないところから関係性を見つけると言うことなのです。

参照 大作晃一・吹春俊光著「きのこワンダーランド」(山と渓谷社)

熱帯雨林の生物多様性と共生系〜ランビルの森の自然〜

ここは、マレーシアにある「ランビル国立公園」の熱帯雨林を再現した場所です。
この「ランビルの森」は、未知なる生物の宝庫と言われている場所で、今でも大学院生達が研究を続けています。
ここに生える木は、約70m以上にも成長するマメ科のタパンという木で、木の周りには落ち葉が広がり、幹にはツル性植物や花などが咲いています。
これらは、実際の植物から型を取って作製したものです。
現地で行われている野外研究は、樹冠層といわれる70mの木の上での活動となります。
ですから、登ったり下りたりを繰り返すわけにはいきませんから、木の上に縄ばしごを張って、そこを行き来しています。
京都大学の野外研究は、まさに体力勝負なのです。
皆さんも、一度上の方に登って観察してみてください。
ここにある植物全部にラベルが貼ってありますから、なんという名前か調べてみましょう。

参照 京都修学旅行ワンダーランドホームページ

将来の道が見つかるかも?京都大学総合博物館

地下収蔵庫見学

これから地下の収蔵庫を案内します。
普段この場所は専門家の方しか入れません。
ですから、今日皆さんを案内するのは特別のことです。
それから注意することが一つあります。
ここに保存されている資料はとても貴重なものですから、もしも火災が起きたときには自動的に消火器が作動します。もし警報が鳴ったら、すぐに外に出てください。
でないと、皆さんは窒息して死んでしまいます。気をつけてください。
さあ、ここが入り口です。
ここに大きな帳面がありますが、これは標本を調べに来られた方のサインと、何を調べたかが書いてあります。
一番最初にサインされているのは、原色日本植物図鑑(保育社)などを手がけておられる植物分類学の大家である北村四郎先生と村田 源先生です。
ここが収蔵庫です。このキャビネットは、こうやって電動で動く仕組みになっています。
中は、このようにぎっしりと資料が収められています。
ここに皆さんに見せたい資料がありますからテーブルの方に移動しましょう。
これは、キク科の植物ですが、ここを見てください。日付が1889年(明治22年)9月13日と書いてあります。採取地は、エゾ(北海道)のモロガンとありますね。ここは、私が通っていた高校の裏手にある場所です。これを見て私はビックリしたのです。
採取者は、ルーベン・ホーリーと書いてあります。この人は、キリスト教の布教師として日本に来たようなのですが、布教活動は行わずに、植物の採取ばかり行っていたようです。
こちらの標本は、同じように1893年に札幌で採取されたものですね。
この裏には、自筆のフランス語で説明が書かれていますね。
さて、次にこちらの標本を見てください。
1933年(昭和8年)8月26日にシナノというのですから長野県の霧ヶ峰で飛田さんという人が採取した標本です。先程紹介した北村先生が、Saussurea kirigaminensisと名付けられた植物です。
これらの標本には、赤い印がしてあります。
これは正基準標本と言って、人類の知識上に初めて登場した最初の標本であり、人間で言うところの戸籍原本に当たるものです。 上の標本室で見たように標本してあるのですが、昔は今みたいに乾燥機がありませんでした。山に入って、その場で簡単に乾燥して持ち帰って標本にしたので少し黒ずんでいます。
しかし、この価値は大変なもので、何か新しい植物が発見される度に、この標本と見比べてみて同じかどうかを丹念に調べるのです。

田川基二氏採集のキノクニスズカケ Veronicastrum tagawae の正基準標本(holotype)

参照 The Kyoto University Museum

ですから、この博物館には研究者が大勢訪れるのです。
さて、こちらには手動のキャビネットがあります。こんなに重たいキャビネットが簡単に動くでしょ。
この中には、地衣類と呼ばれる、藻類と菌類が共生している植物の標本が収められています。私は専門家ではないので詳しくはありませんが、一見するとゴミのような細かいものまでキチンと標本にして収められています。
このようにして、京都大学総合博物館では、研究者達が持ち帰った貴重な標本を資料として大切に保管しているのです。

せん苔地衣類タイプ標本 Lecanora melanocheila (Hue) Miyawaki

参照 The Kyoto University Museum

http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/

http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/UNIVMU2004/05-kyotodai.html